ニュース全ニュース

“ヤンタン”の元ディレクターが当時の秘話を大公開 映画『ベイブルース~25歳と364日~』舞台挨拶

2016年10月16日(日) レポート

映画祭4日目は元・立誠小学校での立誠シネマプロジェクト『ベイブルース~25歳と364日~』にて舞台挨拶が行われました。
登壇者はよしもと芸人であり、本作の監督・高山トモヒロと、同志社女子大学教授の影山貴彦さん。

同作品は、かつてベイブルースという名前で高山がコンビを組んでいた元相方・河本栄得の死をきっかけに、高山が綴った小説『ベイブルース 25歳と364日』を映画化したものです。

影山さんは、かつて絶大な人気を誇ったMBSの深夜ラジオ生番組『MBSヤングタウン』(通称ヤンタン)の元ディレクター。放送当時、レギュラー出演していたベイブルースを担当したのも影山さんだったそう。
当時の彼らがどうだったかと聞かれると「めちゃくちゃ売れていた。イベントをやると、MBSの社屋を何千人のファンが囲むほどだった。今を思うとaikoやますだおかだ、FUJIWARA、つんく♂など本当にオールスターのレギュラー陣だったが、その中でもベイブルースとaikoは際立っていたね」と裏話を披露。
また同番組の前の音楽リクエストランキングも担当しており、河本が死去した後はベイブルースのデビューシングル『夫婦きどり』とシャ乱Qの『シングルベッド』しかリクエストが来なかったそう。影山さんはランキングが成立しないために、やむを得ずわざと順位を作っていた、という驚きのエピソードも飛び出しました。

そしてトークは河本が死去した1994年10月31日へと移ります。
映画ではヤンタンの生放送中に彼の死をリスナーに報告していますが、実際は同日の夕方に彼が亡くなっており、高山はじめ限られた関係者しか真相を知らなかったこと。そしてメディアの混乱を避けて翌日プレスリリースを流すために、その日の放送は河本が“まだ生きている”前提で放送していたことを影山さんが語りました。
「いつも高山は本当に面白かったけど、あの時は最高やったね」と当時を振り返り「11月1日に日付が変わった時の『河本栄得誕生日おめでとう』はたまらんかった」と目を赤くしながら語りました。

舞台挨拶の最後は「おべんちゃらは一切言っていません。高山はすごい男。どうぞこれからも高山君への一層の応援を御願いします」と彼に向けてエールを贈りました。
高山は「芸事も映画もいろんなことを頑張りたい。僕はできる男ですから(笑)。これからも宜しく御願いします」と締めくくりました。

  • Facebookでシェア
  • Twitterでシェア