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ちゃんばらは、緊迫した命のやりとりが交わされるからこそおもしろい!『時代劇は死なず ちゃんばら美学考』中島貞夫監督スペシャルトークショー

2016年10月16日(日) レポート

10月16日(日)、京都国立博物館で特別上映『時代劇は死なず ちゃんばら美学考』が上映され、中島貞夫監督がスペシャルトークショーを行いました。

京都を中心に発展してきた時代劇映画。
その華であるちゃんばら(殺陣)の人気は、若者はもちろん若い女性の間にも広がりを見せ、今や世界からも注目されています。
この作品は、時代劇の歴史的変遷をふまえながら、評論家や俳優、殺陣師へのインタビューも交え、ちゃんばらのおもしろさを徹底的に追及。ラストには、本格的なちゃんばらシーンも織り込まれています。

上映終了後、中島貞夫監督と宮川貞一さん(京都国立大学列品管理部長)が登壇し、トークショーを行いました。

まずは中島監督のプロフィールを改めて紹介します。
千葉県に生まれた中島監督は、東京大学文学部卒業後、東映に入社。
在学中に「ギリシャ悲劇研究会」を結成していたことから、入社時に「ギリシャは古典、古典といえば時代劇や」との理由で京都撮影所配属となったそうです。

宮川さんに当時の京都撮影所の様子を尋ねられると「いちばん過酷な場所と言われていました」と中島監督。
当時、撮影所は東京と京都にあり、東京は現代劇、京都は時代劇と住み分けがされていたそうです。
「京都には崇高な作家がいて、時代劇の職人たちがおり、そして時代劇スターもいました。それに、満芸(戦時中、満州にあった映画会社)の職人や作家も大勢いて、できれば避けたかった(笑)。当時、『京都撮影所で歩いている人はいない』と言われていて、本当に全員走って移動しているんです。『えらいところに来てしまったなぁ』と思いましたね」とふり返ります。

続いて「パークス襲撃事件と刀」をテーマにトークを展開。
映画の華でもあるちゃんばらですが、かつて、ちゃんばらではなく実際の刀を使った襲撃事件が起きました。起きたのは慶応4年2月30日、場所は京都三条縄手。
当時の事件をふり返りつつ、実際に使われた日本刀の画像も紹介されました。
刃こぼれも見受けられ、「激しい斬り合いに、まさに火花が散ったような後ですよね」と宮川さん。

続いてはいよいよちゃんばらの話題へ。
「日本刀は、日本人にとり精神的なものがあります。しかし徐々にそれが薄れていき、形骸化してしまった」中島監督。
「ちゃんばらは、殺し合いである一方で、生き残り合いでもあるんです。自分の魂を懸けているからこそ、死生観が出るはずなんですが、今はちゃんばらのドラマの世界が失われている。そこを考え直さないといけません」と、ショー化してしまったちゃんばらに警鐘を鳴らします。

また、映画のラストに紹介されたちゃんばらシーンにも触れ、「ちゃんばらは、今や斬る側ばかりがもてはやされますが、実は斬られ役がとても重要なんです。なのに、戦後は斬られ側を無視したような作品が多い。これは、戦後の日本の、“死"を封印するという雰囲気が影響しているのではないかと思います」と、斬られ側の重要性も明かします。
宮川さんが、「スター・ウォーズで、ちゃんばらを模した戦い方や斬り合いが登場しますが」と尋ねたところ、「それはそれでおもしろい。でも、日本刀だともっとおもしろいものが作れると思いますよ」とも。

今後、ちゃんばらはどうすればよいかと問われた際は、「2通りあります」と中島監督。
「まずひとつは、牧野省三の流れです。牧野のちゃんばらは、パフォーマンスのおもしろさを徹底的に考えていました。もうひとつは、伊藤大輔さんの流れ。伊藤さんのちゃんばらは、ねちっこく、生きながらえることを表現しました。生きながらえるためには、かっこいいばかりとはいかない。僕は、いい悪いではなく、ドラマチックなのは伊藤さんの流れだと思いますね」と話しました。

また、ちゃんばらは「極限的な身体表現」とも。
「どう斬り合うのか、間合いをどう取るのか。そこにある空間は、命のやりとりで成立しているんです。そういう緊迫感を伝えないと」と中島監督。
「ちゃんばらは今やショーのようになっています。『悪い奴を斬る!』という単純なものではなくて、『斬るということは、自分の命が懸かっているから』という緊迫したドラマがないと、立ち回りのおもしろさは伝わらないと思います」と、魅力的なちゃんばらのあり方を語りました。

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